きまずい

先日の水曜日はレディースデイなので、「トウキョウソナタ」を観にいった。
ラストのピアノのシーンで号泣。すごい映画を見たなあという感じ。きっと映画的手法にあふれていて、解読なども様々あるのだろう。テーマは家族の崩壊と再生?でも相変わらず私は極々私的な感想を述べるのみ。
気まずい という言葉に反応しませんか?
私はします。気まずさから逃げる為に生きているといってもいいです。ものすごい気まずい空間を描くのがなんと上手な映画だったことだろう。気まずさっていうのは ある種の秘密・・その秘密による後ろめたさからうまれるのだなあとつくづく思った。そして、気まずさの伴う秘密というのは 自分をごまかす為の秘密なのだなあとも。
人から怒られることが心底嫌いな私は そういう事から逃げる為にも生きています(カ、カツオ・・・?)だから ごまかす っていう言葉にも反応します。だからそれが積み重なって、息が出来なくなるような 真綿で首をしめられるような感覚。そしてその感覚をぬぐう為に、ごまかした事に目をつぶる事も人は出来る、ということも知っています。(一体なにしたんだ?という感じですが 食べ切れなかった給食を正々堂々残さず川に捨てるとかです・・・)
          「誰か私をひっぱって・・・」
日常を生きていく為に少しずつ自分をごまかして、目をつぶってきた家族が崩壊していく。
やっぱり 日常っていうのは計り知れないと思った。
その積み重ねがその人を、自分を作っていくのだ。ごまかせばごまかした私が積み重なっていく。 それでしかきっと人は作られないのだろう。もっと大きなものに支配されているように思っていても。

小泉今日子が美しかった。リアルな顔のたるみ加減。海のシーンでは海面が反射して死んだ魚の目のようになっている。それでも美しかった。

「目が覚めたら 今までの自分が全部嘘で、新しい自分だったらどんなにいいだろう・・」
それでも 目覚めて、ぼろぼろでも、自分の足で歩いて、 自分の場所へ帰っていく。きっと、それぞれが一回死んで還ってきて囲む食卓。 (家族映画なので食卓シーンが印象的でした。食卓シーンがいい映画は当たりが多いとおもいます。ご飯茶碗が好きでした)そして自分を貫こうとした息子達が物語を救っていく。次男にあんな才能が隠されていて、それで救われて物語が終わる?安直過ぎる と思う自分とはうらはらに涙は流れる。 ものすごい説得力のピアノ。 震えるような感動ってこういう事かしら。。と思いながらエンドロールを迎えました。暗くて救いようのない映画だったら嫌だなあと思ってたけど、見てよかった。暗くて、救いようは確かにないけれども。
香川照之ってすごい役者さんですね。「ゆれる」のときも思いましたけど。 こういう鬱積した中年の役をやらせたらものすごい。 話には直接関係ありませんが、なにか歪んだ性欲のようなものも役柄の背後に見て取れるようでした。役柄が生きていたってことだと思います。役所さん扮する泥棒の「かっ・・顔をみられたっっ・・」っての一人で映画館で爆笑してしまって恥ずかしかった・・・。やっぱり彼もすごい役者さんだなあと思いました。 子役の二人も素晴らしかったです。

しんと静かなような気持ちで帰りのバスに乗っていたら、ものすごい悪臭の青年が後ろにのってきて死ぬかと思った。 移動もできず、青くなっていたら隣にいい匂いのギャルが座ってくれて本当に助かった。ありがとう!ピンクの携帯の可愛いギャルよ!! 君らは国の宝です!  (おおげさです。)