故郷は誰にとっても大切なもの。


絶賛子育て中のため、ほとんどテレビを見ない生活を送っている。なので今回の震災の件に関してもちょっと疎いところがあるかもしれない。自分なりに受け取った情報で自分なりのことをしているつもりではあるけれど・・。ここ最近震災というか原発、に関してずっと思っていたことがあったのだけどデリケートな問題だし知識もなさすぎるのでここに書くことを躊躇していた。けれど勢いに任せて書いてみます。
原発に関して色々な報道がなされていて、福島の人はもちろん日本中が不安に陥ってる。もちろん私も。
でもね 私の生まれ育って今も暮らしている場所は被爆地です。人を殺す為に原爆が落とされた土地です。もちろんたくさんの人が亡くなって後遺症に苦しまれた方もたくさんたくさんおられます。そのあたりの教育は子供にはことあるごと受けさせる土地でした。原爆記念日の日は展示される写真や被爆した先生の話が怖くて怖くてその夜は眠れなかったし、その日以外にもなにかとそういったことにふれる機会が多かったと思います。そして、自分の親こそ被爆していませんが、小学校のときなどは私の周りの友達は三分の一位は被爆2世か3世でした。だから当然その親の人たちも知っているし、小学校の先生やまわりの大人の被爆者の方もたくさん知っています。もちろん 時代が違うし、背景だって全然違う。放射能の種類だとかも比べたらいけないものなのだとは思う。程度の問題ももちろんあるし。生き残っておられるということは、それだけ被爆の程度が最小限だったのだと思う。
だから・・?だけど・・?その人たちはみんな なんていうのが適切なのかわからないけど・・ 生きて、毎日を普通に過ごしてました。というか普段の生活で原爆を体験してるとか全然分からなくすごしていて、なんかのきっかけで知ることになり、「ああそうなんだね」って感じだった。本当にこうやって書くのが不自然なほど、それは自分達の中で普通の自然なことでした。
特別な活動をされてる方もいたけど、私の周りの人達は、みんな普通に笑って泣いて、喧嘩したり恋をしたり、噂をしたりお花見したりして、毎日生きていた。もちろん もちろん その人たちにしか分からない体の不調やリスクはあったと思う。トラウマの様なものや、言い知れぬ不安も。もしかしたら差別も。だけど、みんな生きてた。生きてきっと人生を楽しんでた。次の世代もそしてまた次の世代も。
兄が東京に住んでいて、原発に対して不安に思っているけれど、妙に肝が据わってるのは私と同じくこの土地で生まれて暮らしてそういったことを肌身で知っているからだと思う。もちろん専門的な知識がないのだから、無責任に比べることなど出来ない事は重々分かっているのだけれど。
えーと だから何が言いたいのかというと・・今のこの現状が安全かそうでないのかは本当には私には分からない・・。この土地の被爆者の方の本当のところだって。だけど そういった事を肌身でを知ってる分、その分、過剰に不安に陥ったり、無責任に煽ったりすることもない。この土地で育った人たちはみんなそうだと思う。 本当にそう思う。