「イントゥ・ザ・ワイルド」

ショーン・ペン監督「イントゥ・ザ・ワイルド」を見る。

最近私はますますあほになってきているのではないかと思う。
映画を見るとその世界に吸い込まれて唖然としてしまう。
もっと若いころは映画は映画として距離を置いていたように思う。
けれども最近は心を持っていかれてなかなか帰ってこれない。
まるで写真を撮られると命を持っていかれると信じている人がシャッターをきられて唖然としているような。
(というかお約束のサスペンスに本気で一喜一憂するおばさんというか。。。)
それだけ作品がすばらしかったともいえるかも。
実話だと知っていたし、結末も映画のコピーなどから知ってはいたけれどやっぱり心を持っていかれてしまった。
実話だからこそ心が千切れるような気持ちにもなったのかもしれない。
彼には帰ってきてほしかった。
私はクリスが最期、餓死するのは知っていたが、それは彼が望んでのことだったと思っていた。 だから、彼が「帰ってこようとした」けれども最終的にその結末を迎えるのだとわかってから本当にショックだった。彼がアラスカの地にたどり着き、荒野を見渡し、鹿の群れに涙するくだりできっと彼はこの自然の中で本当に自分の理想とする生活をするのは無理だと悟って絶望して、潔く自ら餓死を選ぶのだろうと思っていた。
実際には、帰ろうとしたけれど想像の範囲外のことが起こり帰れず、少しの不運が重なり餓死してしまう。
あまりに愚かな死だと思う。彼を批判する人たちが後をたたなかったというのもわかる。
でも、山を下ろうとして帰れず、「不思議なバス」に戻ってからの生活 帰り道を絶たれてからの生活こそが彼がアラスカにたどり着くまでに焦がれていた生活だったはず。そこが本当に皮肉だと思った。
「幸福は誰かと分かち合ったときに本物になる」  でも、彼はこの言葉をそこからの生活の中で紡ぎ出せた。
逆に帰り道を絶たれた生活の中でしか紡ぎ出せなかった。だから彼がアラスカを荒野を目指したのは間違いではなかったのかもしれない。と、思ってしまった。(最近アンハッピーエンドがつらすぎてなんとか活路を見出そうとしてしまう。。邪道ですかねやっぱり。。)

極端にいって新興宗教の若い信者の人達。というと分かりやすいかもしれないけれど、若くて、頭が素晴らしくきれる人たちが俗世を嫌い、理論だけの理想を元に暴走してしまい命を落としてしまう...というのは古今東西昔からわりと繰り返されてきた話だと思う。
主人公のクリスもそういった一人だと思う。クリスは大学の授業でアパルトヘイトの問題で「A」の成績をとり、飢餓の問題をいつも深く憂いていたというエピソードがあった。彼はきっと本気で差別や飢餓があるべきではないと考え、裕福な自分の家族や生い立ちを軽蔑し、そこから決別したくて一連の行動に出たのだろう。
私はそういった頭の中だけの理想を振りかざす所謂「頭のよい」知識人のような人が好きではない。奇麗事を振りかざして自分の手は汚さない または汚れないと信じている節があるような気がしてしまうのだ。クリスにもそういった面が多分にあったと思う。実際に彼の事件がアメリカに広く知れ渡ったときに幸福な生い立ちや有望な将来を捨て、命を粗末にした自意識過剰な愚か者として彼への批判がものすごい数送られたと聞く。ものすごくその気持ちわかる。ただ、映画を見ているとそういう風に彼を批判する気持ちにはなれない。素晴らしいのは映像。 ショーン・ペンの人を見る眼差しは本当に優しい。ただ単に優しいのではなく美しいも醜いもヘドロのような裏切りも過ちも何もかも通り過ぎた人がもつ優しい目線。
親へのコンプレックスを抱いて、理想ばかりが高く命を落とした愚かな青年。ただ、そうなるまでの生い立ち、いろいろな角度から彼を語る人物たち。
それを丁寧に書ききっている。人間を一面だけ一言でだけ表せるはずもない。そんな当たり前の事を言っているような。
こういうナイーブな題材の実話を誰も裁かず、偏ることなく公平な目線で撮るのは本当に難しいと思うけれどそれをやってのけていると思う。。
ショーン・ペン最高。。。ついていきます。。

ところで主演のエミーク・ハーシュの演技がとってもよかったです。 声をたてて笑うときのイノセントな感じが出始めのディカプリオと少しかぶりました。 でももっと誰かににてるんだよな。。と思ってたんだけど笑った感じがジャック・ブラックに似てませんかね。。俺だけ。。?。。(ですよな)
後、こういったナイーブな通過儀礼中の青年 という役どころをみるといつも「リバー・フェニックス・・」と思わずにはいれません。