愛と条件

夜は友人の家に色々と相談に行く予定。朝から今日はご飯はいらないと告げると「あんたに覚悟のあるかどうか話ばしたかとに」といいだす母。「はあ?」とどうしてもなってしまう。家にずっといて母の気の済むまで話をしろというのだろうか。これからなにもかもを決めていかないといけない時期に。まっすぐ家に帰り 母と話をし 住む場所も決め 式場も決め、結婚式の段取りをし 子も産めというのだろうか。うんざりする。
「それは今日でないといけないのか」と言うと「今日でなくてもいいやろうけども してもし足りない話だろうし」と言う。また相方の話をしたいのだろう。
思うに その職業で頑張りたい その中で高みをめざしたい とおもっている人にそれは将来性がないから別の道に進みなさいというのは(極端だけど内容はそういうこと)あんまりにも失礼ではないだろうか。母の望む職業に就けばその人を認める というのは あまりに傲慢ではないだろうか。思えば 私に対しても、いつもそうだった気がする。
泣かずにいれば愛する 成績がよければ愛する あの高校に行くなら愛する 家をでらずにそばにいるなら愛する 看護師になれば愛する 免許を取れば愛する 車を運転すれば愛する 公務員と結婚すれば愛する 相方と別れれば愛する 相方が看護師になれば愛する 
私が私でなければ愛する それってそういうことだと思うのだけれど。なによりそれにとらわれすぎな自分が嫌なのだけれど。